スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昨日夏今日は冬

DSC01429.jpg
五月十三日(土)だいぶ、ブログをいじらなかったら、やりかたを忘れてしまい、写真がはいらないのである。的はずれの、写真が入る。その内真ともになってくるであろう。久方ぶりに雨が降る。沖縄は梅雨にはいったという。昨日と今日では十度ぐらいの差があることであろう。岡倉天心の言葉にこんな言葉がのこっている。「まあ、お茶でも糸口すすろうではないか、明るい午後の日は竹林にはえ、泉水は嬉しげな音をたてて、松籟はわが茶釜に聞こえる。はかないことを夢にみて、美しい取りとめのないことを、あれや、これやと、考えようではないか?」-忙中閑ありーふぅと、蛙の声が聞こえる、ふっと雨垂れの音」が聞こえる、ふっと台所から、茶碗のぶつかる音がきこえる、ふっと立ちどまる。お医者さんは、いつも、汚いものを見てばかりいるから短命、芸術を求めている方は、いつも綺麗なものをみつめているから長命だという。明日は晴れになるかな。合掌
スポンサーサイト

老木

DSC01446.jpg
五月九日(火)老木、つまり木が古くなってきたのである。山寺の周りには、それらしき大木が多い。日本も戦後七十年。七十歳ということであろう。小枝が枯れてくるように、日本列島もかれてきたことは、間違いあるまい。それは、地方を小枝とみればよい。本当は、小枝には、青葉が茂り、太陽の栄養を吸収し、大木になっていくのであるが、、この鉢植え日本、小枝を剪定しすぎて、枯れそうなのである。また、宗教なるものの世界も、核社会は、精神性までも拡散させてしまった。檀家制度という、行政の枠からはなれた、個としての、日本仏教の「行」(念仏三昧、座禅三昧、、、、、、、、)のみが、残された、個としての「安心」の世界ではなかろうか。「災難を逃れる法はある、災難に会うときは会うが良かろう、死ぬる時は死ぬるがよかろう、これが災難を逃れる「法」である。(良寛)。

五月晴れ

DSC01453.jpg
五月七日(日)五月晴れの連休であった。かっては、日本という国?がかすかにあったころは、今の時期は、田んぼは、水を張り、農家の人達は、一家総出で、「田植え」の時期。今は、荒れ野が多くなり、舗装された道を、デッカイ音をたて、バイクが、はしりまわる。「観光」という、光が馬鹿騒ぎのように、奔走する。憲法の「裏」の憲法で、浮き草日本州は、さまよっている。便利、とスピードは、人の心を狂わせてしまったか?山は新緑にそまっている。やがて「放射能」の薬が効いてくるのであろう。仏は「仏陀」をちじめた言葉。「自覚」と言う意味でもある。さて、日本人、何か「自覚」をせねばならぬときではなかろうか?このまま、「便利」という新幹線に乗せられ、「暴走」していく、道をはしっていくのであろうか?「坂口安吾」の「堕落論」は「孤独」の覚悟。合掌

3月十九日(日)お彼岸。

「こんな女にだれがした?という歌が戦後流行った。こんな、日本に誰がした?向こう三軒両隣りの、貴方と私達。憂国の武士は、現れることは、ないのか?「国敗れて山河あり」。仏法も落ちるところまでおちた。末法のそのまた、末法。百歳の老人が日本には、五万人以上おられるという。自殺者は、未遂者をふくめると、四万人はいるだろうという。「彼岸」とは、偏らない心である。手を合わせ心を、長閑にし、ゆcつくり、息を口から吐きだすことにより、健康を保つ。心と体の健康が、「彼岸」の世界。「そのまま、そのまま、そのまあんま」。合掌。

彼岸

3月のお彼岸。
プロフィール

sutekire

Author:sutekire
現在64歳。住んでいるところは南房総市海老敷の金毘羅山のふもとにある古寺の坊主です。

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。